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弟じゃないふた振り

源氏兄弟、古備前(兄弟)が好きな人の地雷を思いっきりぶち抜いている可能性があります。

大包膝なら何でも大丈夫な方だけ読んでください。

「これ以上読んだら作者を刺しかねない」と思った時点で、読むのをやめてください。

「そう言えば、最近全然見かけないねぇ、えっと~、何だったかな、君の兄弟の……」

 髭切にそう言われて、おもむろに顔を上げる。ただ暇つぶしに適当に話題をふっただけなのか、その言葉の中に感情はなさそうだった。

「大包平か」

「そうそう、大包平。最近彼の姿を見ていないけれど、どうしたんだい?」

「いやぁ、何。あいつも忙しいんだろう。気にすることはないさ」

 俺がそう返事をすると、髭切は俺の顔を隣から覗き込む。気にせずに茶を啜るけれど、髭切もまた、そんな俺の様子なんてお構いなしだった。

 晴れの日の昼下がり、外は騒がしく、背後の廊下を駆けていく短刀達の足音が聞こえた。障子を閉めているにも関わらず、元気のいいその音が部屋に届く。足音が聞こえなくなった頃、髭切は飽きたのかようやく俺の顔を覗くのをやめ、炬燵から手を出し卓上の煎餅に手を伸ばした。

「君がそう言うなら、そうかもしれないね」

「急にどうした。お前も、大包平の面白さに気付いたのか?」

「あ~、そうじゃなくて、君が僕たちの部屋に来てお茶を飲むから、てっきり彼も来るのかと思ったんだけど、影も形も見せないものだから気になったんだ。それで、そういえば最近、彼の姿を見ていないな~と思って。でも、そっか。忙しいなら仕方ないよね」

「ああ、忙しいなら仕方ないな」

 俺が茶を啜ると、隣で髭切も茶を啜った。戸棚から適当に持ってきた菓子皿に手を伸ばす。何が入っているのかと探ると、一口サイズの『ぜりい』があった。薄緑色のそれを摘まんだところで、そういえば、と俺も口を開く。

「最近見かけないが、どうしているんだ?」

「おおかね……」

「ではない。お前の弟だ。ここのところ、全く姿を見ない。俺はてっきり膝丸もいるものだと思って菓子が多めに乗っている皿を持ってきたのに、いないじゃないか」

「ありゃ、驚いたね。君、そんな事に気をまわして菓子を選んでいたの?」

 そう言いながら、髭切は全く驚いていないようだった。

「いいや、適当に持ってきた」

「あー、そうなんだ。弟ねぇ、忙しいんじゃないかな」

「そうか、忙しいのか。それなら仕方がない」

「そうそう、仕方ないよね」

 薄緑色の『ぜりい』は思ったより噛み応えがある。何とも説明しがたい菓子だ。弾力があり、柑橘のようなリンゴのような鼻に抜ける甘い香りがするのに、何の味かと聞かれると答えられない。

 気が済んだのか、髭切は湯呑の中の茶を飲み下す。俺も急須から湯呑に茶を注ぎ、一口飲んだ。

「いやぁ、静かだねぇ」

「そうだな」

 

 ことが起きたのは、五日ほど前だ。それは夕餉での事だった。

 大包平はいつも通り夕餉の時間だと俺を部屋まで呼びに来て、そのまま一緒に大広間へと向かった。廊下を歩いていると、角で源氏のふた振りと会い、だらだらと喋りながら廊下を歩く。俺と髭切が前を歩き話している後ろを大包平と膝丸がついてきていたのだけれど、いつもなら俺たちより大きな声で話しているのに、随分と静かだった。気になって振り返ると、ふた振りは目も合わせず、お互いに顔を背けていた。

「大包平、そんなふくれっ面をしてどうした? 不貞腐れているのか?」

 俺の言葉に一番反応を見せたのは膝丸だった。びくりと肩を震わせ、驚いたように大包平を見る。すると大包平もそんな膝丸に気づきふた振りの目が合った。しかしそれも一瞬で、またすぐに驚いたようにお互いに顔を背ける。ふた振りの顔は真っ赤になっていて、何ともこちらに親切な分かりやすさだ。

「ありゃりゃ」

「これはこれは」

 俺と髭切が顔を寄せて笑い合うと、大包平はついに肩を震わせ、どかどかと足音を立てて先に広間へと向かってしまった。

「あっ……」

 膝丸は伸ばしかけた手を引っ込め、ぐっと強く拳を作る。

「追いかけなくていいの、え~っと……」

「膝丸だ、兄者」

「そうそう。で、いいの?」

「ああ。彼とは、まあ、後で……」

 そこまで言って俯き、言葉を濁される。

「後で、何だ?」

 からかうつもりで聞き返せば、膝丸の引き結ばれた唇が微かに震える。

「あんまり弟をからかわないで欲しいなぁ。可哀想に」

「兄者……全然可哀想だなどと思っていないだろう」

 膝丸の言うとおり、髭切はいつも通り、むしろいつもよりずっと楽しそうに、にこやかだ。

「ほら、俺たちも広間に行かなければ。夕餉が冷めてしまう」

 落ち着いたのか、小さくため息をついた膝丸はからかう髭切の背を押し、広間へと向かう。

「それは困っちゃうねぇ」

「そうだな、それは困る」

 広間へ行くと、大包平はいつもの場所に座り、腕組みをして俺たちを待っていた。その日は四人並んで食事をした。その際、端に座ったのは大包平と膝丸で、隣合ったのは俺と髭切だった。

 大包平と膝丸は、結局その日は一言も交わさなかった。

 

「それで、膝丸とはどうだった?」

 翌朝、朝餉に向かう際に大包平にそう聞けば、むすっと眉を寄せ、フンと鼻を鳴らす。

「会っていないのだから、どうも何も無いだろう」

「会えばいいじゃないか」

「何故会う必要があるんだ」

「そうか、会いたく無いのか。なに、無理強いするつもりは無いさ」

「会いたくないとは言っていない!」

「そうか。では、何故会わない」

「そんなの、俺の勝手だろう」

「おやおや、これはこれは、中々どうして」

「おやおやだの、これはだの繰り返すな、煩いぞ!」

 煩いと言いながら、大包平は一際大きな声で俺に怒鳴りつけた。

 以前から、膝丸と大包平は何かと気が合うようで、時々共に酒を飲んでいたようだった。俺と髭切が似ていると言われることがあるけれど、兄同士が似ているなら弟同士も似るのかもしれない。

「そうだ。俺がくれてやった酒は美味かったか?」

 俺のその問に、大包平はピタリと足を止める。やはり、図星だ。

「一昨日、遠征の土産にくれてやった酒を、お前は誰と呑んだのだろうな」

「うっ……うるさい。別に誰だっていいだろう」

 先程までの威勢は何処へやってしまったのか、顔を赤くして恥じらうように目を伏せ、可愛い顔をしたものだ。

「またそのうち、買ってきてやろう。可愛い弟たちのためだ」

「俺はお前の弟ではない!」

「まあ、そう言うな」

 

 その日の夜からだ。ふた振りがその部屋に閉じこもったのは。

****

 糸のように細い月だ。ただでさえ夜目がきかないというのに、こんな月では勝手知ったる本丸ですら歩くのが難しかった。誤って転んで徳利の乗った盆を転がすわけにはいくまいと、すり足でその部屋へと向かった。

 たどり着いたその部屋は、障子から灯りが漏れている。まずは起きていた事に安堵して、声をかける。

「膝丸、いるか」

 すると、中から人の動く気配がして、すっと障子が開く。丹前の上に半天を着た膝丸が顔を見せた。

「大包平。どうしたこんな夜に」

「鶯丸から、遠征土産に酒を貰ったんだ。一緒にどうだ」

「おお、そうか。その徳利の熱燗がそうか? まあ、中に入れ」

 いつものように招き入れられた部屋は相変わらず小ざっぱりとしていて片付いている。けれど、灯りがひとつの行燈のみで薄暗かった。

「髭切はいないのか」

「ああ。兄者はまた三日月の所で碁を打っているそうだ」

「……そうか」

 俺がそう返すと、炬燵の角を挟んで斜めに座っている膝丸がからっと喉を鳴らして笑った。

「大包平は分かりやすいな。三日月の名前を出すと直ぐにそうなる」

「うるさい」

 膝丸は鶯丸と違い、嫌味でも何でもなく素直にそう言っているのだと知っていた。だから怒る気にもならず、軽くそう言って自分の猪口に上燗を注ぐ。それをそのまま手渡せば、膝丸は布巾で徳利を受け取りぐい呑みに自分の分を注いだ。

「いただこう」

 そう言って膝丸が酒に口を付けるのを見てから、自分も呑む。ほとんど同時にほうっと息をついた。

「ぬる燗だったか。香りがいいな」

「ああ、美味い」

「鶯丸には後で礼を言わなくてはな」

「いい、俺から伝える」

「そういうわけにもいかないだろう。俺も戴いたのだから、礼は言うべきだ」

「そうか。分かった」

 弾む会話があるわけでもない。けれど、ただ静かに酒を飲むだけで良かった。こいつは一緒にいて落ち着く。鶯丸や髭切のように、考えが読めなかったりからかうような事をしない。膝丸は俺を素直だと言うが、こいつ自身も結構分かりやすい性格をしている。

「お前は部屋で何をしていたんだ」

「何もしていない。兄者がいない間、部屋の留守番をしていただけだ」

「本丸内で留守番も何もないだろう」

「ここは兄者の使っている部屋だぞ、俺たち兄弟がいないうちに誰かが入ってきたらどうする。実際、大包平はこうして部屋に来たじゃないか」

「留守の部屋に入るような不躾に見えるのか?」

「……いや、見えないな」

 何がおかしいのか、膝丸はまた笑った。怪訝に思っていると、また笑う。

「本当に、君は何でも表情に出る。君の兄弟が面白がる気持ちも少し分かるぞ」

「鶯丸の気持ちなんて分からなくていいんだ」

「君は直ぐに兄を悪く言うのだな、兄弟なのだから仲良くすればいい。なんてな」

「お前の冗談なんて初めて聞くぞ」

「ああ、少し機嫌が良いんだ」

 その言葉通りのようで、膝丸は普段からは考えられないくらいだらしなく笑い、熱くなったのか羽織っていた半天を脱ぎ、畳んで隣に置いた。

「調子に乗って脱ぐと冷えるぞ」

「着ていても汗をかいて冷えるだけだ」

 ちびちびと、少しずつ徳利の中の酒が減っていく。これくらいで酔うことはないけれど、寝る前の晩酌には程よい心地よさだ。

「そうだ、鶯丸は今、部屋にいるのか?」

「ああ、遠征から帰って、風呂に入って飯を食ったら直ぐに寝た。長い遠征だったからな。俺が部屋に居て物音を立てるのも悪いだろう」

「それで俺の部屋に来たのか」

 その問いに、直ぐに答えられなかった。膝丸もただ自己完結しただけで問うたつもりでは無かったようで、ぐい呑みの酒を揺らして楽しそうにしている。

 鶯丸に酒を貰ったとき、自然と膝丸の顔が思い浮かんだ。気が合うので時々一緒に晩酌をしていたからかもしれないけれど、そのためにわざわざ燗をつけるだろうか。

 こいつと飲もうと思ったとき、自然と「今夜は冷えるから温めてやろう」という気持ちになった。そのために湯を沸かし、燗酒にしたのだ。何故自分がそうしたのかは分からないけれど、目の前で美味そうに酒を飲んでくれる膝丸を見ていると、燗酒にして良かったと、ただそれだけ思った。

「何だ、そんなに見られたら飲みづらい。ほら」

 膝丸ははにかみ、徳利を持ち、注ぎ口を上に向ける。もう布巾が無くても持てるくらい、すっかり酒は冷めていた。猪口を差し出すと、とくとくと注がれる。しかし、膝丸の手が滑り、徳利を卓に落としてしまった。

「あっ! すまない、気を抜いていた。袖は濡れていないか?」

「いや、手だけだ」

「そうか、なら良かった。本当にすまない」

 膝丸は慌てて卓の端に置かれていた布巾をとり、両手で包み込むように俺の手を拭う。布巾越しに手に触れられ、心臓がどくりと脈打った。考えてみれば普段はほとんど手袋で隠れていて、膝丸の素手をこうしてじっくりと見るのは初めてだ。

「……綺麗だな」

 そう呟き、気が付けばその手の甲に触れていた。どれくらいそうしてその手を撫でていただろうか。倒れた徳利が転がって畳に落ちた音で我に返る。ハッと顔を上げて膝丸を見ると、目をぱちくりと瞬かせて俺を見つめ、その頬を赤く染めていた。

「わっ!」

「うおっ!」

 その叫び声はどちらの物かも分からない。同時に声をあげ、手を離して飛び退く。

「かっ、勝手に触って悪かった! 何だ、その、気にするな!」

「いや、いやいや、気にしてなどいないぞ! 俺も酒をこぼしてしまったからお互い様だろう!」

「ああ、そうだ、お互い様だ! お、俺はもう寝る! 眠いぞ!」

「それがいいだろう! 片付けは俺がやるから大包平は部屋に戻れ!」

「いい、食器は俺が片付けるからお前は卓でも拭いておけ!」

 俺は盆と食器を腕に抱え、部屋を飛び出し厨へと廊下を走る。途中でへし切長谷部に怒られた気もしたが、それでも止まっていられなかった。叩きつけるように食器を流し台へと置いて、唸るような呼吸を整えようと丹前の合わせを握り締める。

 俺は、一体何をしたんだ。

 滑らかだった。白すぎない細長い指。爪は短く、白く伸びた部分がほとんど無い。荒れてざらつく場所なんて無くて、撫でているのは俺なのに慰められているような、そんな錯覚に陥るような手をしていた。頬が赤かったのは、酒のせいか、身体が温まっていたのか、それとも……。

 考えていて、立っていられなかった。流し台に手を付いたまま蹲り、低い声で唸る。

 謝ろう。明日の朝にでも謝らなければ。

 

 俺も膝丸も、朝は早かった。それは翌朝も変わらず、いつものように洗面所でばったりと顔を合わせる。

「あ……」

 謝ろうとして、声が出なかった。謝りたくない。謝ったら無かったことになってしまうのではないか、いつも通りになるのではないか……そう思うと、言葉が出なくなった。少しの間、お互い何も言わずに向かい合っていたけれど、膝丸の顔が赤くなりバッと顔を逸らされ、そのまま走り去られてしまった。

 胸が急に重く苦しくなり息が詰まる。それでも俺は追いかけることも出来なかった。けれど不思議な事に、気まずいという感じは無い。それどころか、少しだけ心地よく感じている。それはきっと、膝丸からも悪い気を感じなかったからだろう。

 

鶯丸と髭切にからかわれたのは、その日の夕餉の時だ。

 

 その更に翌日、俺と膝丸は顔を合わせても話しかけず、目があっても少し見つめ合った後やはり逸らして、むず痒いような心地よいような日を過ごしていた。

 しかしその日の夜は、いつもの夜にならなかった。

 風呂から上がり、部屋に戻ろうとしていた時、廊下を歩いていると、面した中庭から呻き声のようなものが聞こえた。けれどその声には聞き覚えがある。だから特に身構えることなく、置かれたままになっていた草履を履いて中庭に出て、呻き声の聞こえてくる、植木の陰になっているそこへと向かった。見ると、そこにいたのはやはり膝丸だった。

「膝丸、どうした」

 声をかけると、膝丸はゆっくりと振り返る。暗くて表情はよく見えないが、肩で息をしていて酷く苦しそうだ。

「大包平、か? いや……少し、酒を飲みすぎて……厠まで間に合わなくてな」

「それでここで吐いていたのか?」

 俺の質問に答える気力もないのか、膝丸は小さく頷きまた地面に顔を向ける。俺はそこにしゃがんで背中をさすり、膝丸が動けるようになるのを待った。

 吐けるだけ吐いて落ち着いた膝丸を厨へ連れて行き、温い白湯を飲ませる。厨に置かれている椅子に並んで腰掛けて、漸く一息ついた。

「迷惑をかけたな」

「どうしてそんなになるまで飲んだんだ。お前は無茶な飲み方をするような奴じゃ無いだろう」

 聞いても膝丸は顔を俯かせたまま、そっぽ向いてしまう。こいつが髭切以外にこんな風にしている姿を見るのは初めてだ。

「言いたくないのか?」

 更に聞いてみれば、膝丸はゆっくりと俺を見た。そのまま目が合って、お互いに見つめ合う。そして膝丸は柔らかく笑い、口を開いた。

「こうして話すのは久し振りだな」

「一昨日、話しただろう」

「そうか。なんだかやけに長く感じてな」

 膝丸は、ははっと乾いたように笑った。

「俺のせいか?」

 俺がそう聞けば、困ったような笑みを浮かべて、白湯の入った湯呑の淵を撫でる。

「本当に、君は分かりやすい」

 膝丸は言葉を探しているようだった。きっと、言葉が見つかるのを待てばこいつは答えてくれる。膝丸はそういう奴だ。

 しかし、待っても待っても膝丸は一向に答える気配がない。それでも煩わしいだとか、じれったいとは思わない。焦らしているのではない、本当に真剣に考えているのだろう。こいつの考える事は何故か分かる。きっとそれが、気が合うとか、似ているということなのだろう。

「この前……」

 どれくらい待っただろうか。膝丸がぽつぽつと話し始める。

「大包平と酒を飲んだ日から……妙に気持ちが穏やかなんだ。本当に、不思議な心地だ。兄者といるときの落ち着いた気持ちとも違う。兄者といるときはもっと、気持ちが高揚するような、けれど休まる、自分が自分になるような、そういう幸福感で満たされる。大包平はそれとは違うんだ。本当に、不安になるほど穏やかな気持ちになる。何だ、これは」

 話しながらゆっくりと、膝丸の瞳が俺をとらえ、包み込む。目が離せなくて、俺は膝丸の頬に手を伸ばした。膝丸はされるがままだった。そのまま前髪をどかし、両目をしっかりと見つめる。

「膝丸」

「何だ、大包平」

 この、胸にこみ上げてくる感情は、一体何だ。満足感、幸福感。そんな物よりも、もっと暴力的なように思える。支配だとか、強奪だとか、いや、それとも違う。もっと、もっと何か、空から地面に落ちていくような、そんな救われたような、奪われたような気持ちだ。

 これが、膝丸の言っていた「穏やかな気持ち」なのだろう。自分が自分でなくなるような、それでいて、自分を取り戻すような、生まれ変わるような心地だ。

 段々とお互いの呼吸が荒くなる。息苦しいのだ。堪らずに、膝丸を掻き抱く。

 ああ、まるで……心中でもするような、そんな穏やかな気持ちなんだ。苦しくて、切なくて、とても穏やかで心地がいい。密着したところから膝丸の鼓動がとくとくと伝わる。怖くて堪らない。怖い、怖い……。

「大包平」

 膝丸のその声が聞こえて直ぐ、俺たちはどこかへと落下していった。

****

「何だこれは?」

 鍛刀部屋に表示された時間に、山姥切国広は目を見開いた。そこには見たこともない時間が表示されていたのだ。

「99時間?」

 隣に立っていた堀川国広は呆然とそう呟く。

 今日は鍛刀の予定なんて無いはずだった。それなのに、鍛刀部屋が稼働していて、しかも時間表示がおかしなことになっている。鍛刀部屋の前を偶然通りかかったふた振りは、顔を見合わせた。

 故障かと思い主の部屋に行けば、そこには何故か鶯丸と髭切も座っていた。

「あれ? お二人とも、どうしたんですか?」

 堀川国広は部屋に入り、手前に座っていた髭切の隣に腰を下ろし、山姥切国広はその隣に胡座をかいた。

「いやぁ、それがね。今朝から弟がいないから主に相談してたんだ」

「俺の方も、大包平が見当たらなくてな。今しがた、その話をしていたところだ。そっちは何があったんだ?」

「それが、鍛刀部屋が少しおかしな事になっていて。鍛刀の予定がないのに、時間が表示されていたんです、ふた振り分。え? 何ですか、主さん。時間? それが、99時間になっていて。それで、時間も動いていないんですよ。だから、故障かと思って」

 堀川国広の言葉に、鶯丸と髭切は神妙な面持ちで顔を見合わせた。

****

 目が覚めると、朝の厨だった。どうやら厨で夜を明かしてしまったらしい。膝丸を腕の中に抱きしめ、椅子に座ったままだった。

「膝丸、起きろ」

 目を閉じている膝丸の肩をゆすり、起こすと、膝丸もゆっくりと目を開いた。眠そうに何度も瞬きをして、俺を見上げる。

「大包平……何だ、ここで眠っていたのか」

「そうみたい……なのだが」

 椅子で変な体勢で寝た割に、身体が痛くない。それに何だか、目が覚めた気がしなかった。俺が椅子から立ち上がって厨をぐるりと見回すと、膝丸も立ち上がり、俺と同じように厨を見回した。

「本当に俺たちは夜を越したのか?」

 怪訝そうに膝丸がそう尋ねる。

「いや、俺も……起きたような気がしない。眠りが浅かったから寝た感じがしないだけかもしれないけれど、そういうのとは……」

 俺は自分の手のひらを開いて閉じてを繰り返し、また厨に視線を巡らせる。そうしていると、廊下から足音が聞こえてきた。

「おや、ふた振りとも、どうしたんだいこんな時間に」

 暖簾を潜って姿を現したのは亀甲貞宗だった。

「いや、少し白湯を飲んでいて……亀甲は、何故ここに?」

「今日は貞宗派と虎徹が厨当番なんだ。朝餉はうどんになる予定だよ」

「そうか、もうそんな時間か。俺たちも部屋に戻って支度をしなくては。行こう、大包平」

「ああ」

 俺と膝丸は、並んで厨を後にした。

 いつもの本丸だ。怖いほど穏やかな、いつもの本丸だった。

 部屋に戻ると、鶯丸が布団を畳んでいた。

「おやおや、大包平、朝帰りか。一体どこに行っていた?」

「……厨で居眠りをして、そのまま朝を迎えたらしい」

 笑われるのは分かっていたが、こいつにいらぬ心配をかけるのも嫌で、嫌々ながら素直に答えれば、鶯丸は案の定肩を震わせた。

「笑うな!」

「笑ってない」

「笑っているぞ!」

「いやぁ、すまんすまん。そうか、厨で居眠りを。そうか。まあ、お前の身体は丈夫だから、体調は心配ないだろう。寒くなかったか?」

 そう聞かれて、そういえば寒くないと気づく。昨夜は寒くて、だから水道水を薬缶で沸かして白湯にして膝丸に飲ませたはずだ。ここ最近だって朝は冷えていた。それなのに今、何故か寒くない。

「……大丈夫だ」

「そうか、なら良いんだ。ああ、そうだ大包平。お前に渡したい物がある」

 鶯丸は思い出したようにそう言って、箪笥の前にあった風呂敷に包まれた細長い物を風呂敷から出した。

「これ、遠征の土産だ」

「遠征? いつ遠征に行ったんだ、鶯丸」

「この前の遠征の時にな、もう一本買っていたのだが、それは不要になってな。お前にやろう」

「いいのか?」

「ああ、同室のよしみだ、受け取るといい」

「……同室の?」

「そうだ。それ以外に何かあるか?」

「いや、別に……」

「大包平も、顔を洗って着替えて来い。寝不足なんじゃないか? 酷い顔をしているぞ」

 そう言って、鶯丸は俺の肩を叩き廊下へ出て行った。

 受け取った酒瓶を見ると、確かに以前鶯丸にもらったのと同じ酒だ。

 

 朝餉のために大広間に向かう途中、源氏の兄弟とばったり会った。

「やあ、おはよう」

 相変わらずのんびりした声で、髭切が挨拶をする。

「お早う。今朝はうどんらしいじゃないか」

「そうらしいねえ、僕も聞いたよ、えっと~……」

「膝丸だ、兄者」

「そう、膝丸から聞いたんだ」

「ほう……」

 鶯丸はいつもと変わらない涼しい表情で膝丸を見る。

「まさかお前たちにそんな趣味があったとはな、驚いた」

「そんな趣味って、なんだい?」

「おままごとか何かか?」

「おままごとかぁ、そういうのも悪くないかもね」

 鶯丸の脈絡のない会話に、首をかしげる。髭切と膝丸の会話に、何か変な部分があっただろうか。思い返してみても、いつもの二人のやり取りだったように思える。膝丸を見てもさっぱりわからないようで、俺と同じように怪訝そうな顔をしていた。

「では、大包平、俺たちもおままごとに興じるとするか」

「しない」

「そうケチくさいことを言うな。試しに俺を兄だと思って呼んでみてくれ」

「俺はお前の弟ではないと言っているだろう!」

「それはそうだ。だからおままごとだと言っているだろう」

 その返事に、どきりとする。

 “それはそうだ”? 一体何に対して、そう返事をしたんだ。俺は鶯丸に「俺は弟ではない」と言った。鶯丸はそれに対し「そうだ」と、言ったのだろうか。駄目だ、コミュニケーションが取れていない。こいつはいつも突拍子が無いから。

「とにかく、おままごとなどしない」

「そうか、それは残念だ」

 不穏な気持ちはその一瞬で、その後はいつも通りのやり取りだった。いつも通り会話をして、いつも通り食事をした。あれは一体何だったのだろう。やはり俺の思いすごしだろうか。

 

 その夜は、月が無かった。真っ暗だ。そんな廊下を、熱燗を持って膝丸のいる部屋へと向かった。

「兄者は三日月のところで『とらんぷ』という絵札で遊ぶらしい」

 膝丸がからっと喉を鳴らして笑う。

「大包平は分かりやすいな。三日月の名前を出すと直ぐにそうなる」

「うるさい」

 猪口、ぐい呑み。溜息。

「香りがいいな」

「美味い」

 俺も膝丸も、気づいていた。今、自分たちは話していない。口が勝手に動いている。勝手に、あの夜の会話を再現している。

「そうだ、鶯丸は今、部屋にいるのか?」

「ああ、遠征から帰って、風呂に入って飯を食ったら直ぐに寝た。長い遠征だったからな。俺が部屋に居て物音を立てるのも悪いだろう」

「それで俺の部屋に来たのか」

 膝丸のその言葉で、時間が止まったような気がした。違う。口が勝手に動かなくなったのだ。ようやく一息ついて膝丸を見た。すると膝丸は、驚く程穏やかな表情で微笑みながら俺を見ていた。まるで何かを期待するような眼差し。

 そうだ、俺はこの時、すぐに言葉が出てこなかった。どうしてだったろうか。分からなかったんだ。俺は、どうして膝丸の部屋に来たのか――。

 そうして俺と膝丸は、またどこかへと落ちていった。

****

「それで、鍛刀部屋にいるのが僕の弟と君の弟っていうのは分かったけど……なんでまたそんなところに篭城してるんだろうね」

「さあな」

「悩んでいるにしても、もっと他にあると思うんだ、離れとか空き部屋とか」

「そうだな」

「僕たちに対する抗議だったりして。ねぇ、何か抗議される心当たりとかあったりする?」

「どうだろうな」

「僕は無いんだけどね」

「そうか」

「でも、僕の弟も君の弟もとっても真面目でしょ。こんな子供みたいなことしないで、真正面から直訴してきそうだと思わない?」

「……」

「でもそれをしてこないって事は、やっぱり何か他の事を企んでるのかもね」

「……」

「ねえ、君、寝てるよね?」

****

 鶯丸は今日もまた風呂敷から酒瓶を出し、俺に渡した。これで何本目だ。こいつは何本酒を買ってきたんだ。

「…………」

「どうした大包平、嬉しくなさそうじゃないか」

「そうじゃない。確かにこの酒は美味いんだが……」

「なら、折角だから受け取るといい。飲むのはいつでも大丈夫だろう」

「……そうだな」

 あれから、何回あの晩酌をしたか。確か今夜で四日目だ。四日も同じ酒を晩酌にして、同じ会話をして、飽きるどころか気が滅入る。

「いや、いい。これは他に飲みたい奴にやってくれ」

「そうか。同室のよしみだったが、お前がそう言うなら無理強いはしないさ」

 そうだ、これもだ。鶯丸のこれもいい加減腹が立ってきた。

「おい、鶯丸。お前、普段は俺にいじけているだの言っておいて、いじけているのはお前じゃないか」

「なんの事だ?」

 酒瓶を持ったまま、鶯丸は首をかしげる。

「とぼけるな! 何が同室のよしみだ! 俺が弟ではないと言ったあてつけだか何だか知らないが、やっていることが女々しいぞ!」

 堪らずに怒鳴りつけるも、鶯丸はいよいよ本格的に眉をしかめた。

「何を言っているんだ、大包平。お前に『弟ではない』と言われて、何故俺がいじける」

「それはお前が俺を兄弟だと思っているからだろう! 俺に言わせるな!」

 すると、鶯丸は納得がいったのか「あー……」などと声をあげてからくすくすと笑った。

「何がおかしいんだ!」

「いや、何、お前も可愛いところがあるじゃないか。そうか、俺の事を本当の兄のように慕っていたのか」

「違う、だから、お前が兄弟だと言い出して……」

「はいはい、分かったよ。世話のかかる弟だ」

「あっ、おい!」

 鶯丸は俺の肩をポンと叩き、楽しそうに笑いながら部屋を出て行ってしまった。

「どうなっているんだ……」

 

 その晩、俺は酒を持って行かなかった。

「今晩は酒は無いのか」

「お前も飽きただろう、あの酒」

「そうだが……しかし、だとしたら大包平は何のためにここに来たんだ?」

 廊下から外へ視線を向ける。中庭は真っ暗だ。

「散歩でもどうだ」

「兄者が留守だから遠慮する」

 そしてまた落ちていく。

 

「おおかねひ……」

「酒は、もう、いらん!!!」

 何なんだこれは、何故毎日朝になると鶯丸が俺に酒を寄越し夜になれば律儀に膝丸の部屋へ足を運ぶんだ。大体、俺は何のために膝丸の部屋に行っているんだ。用事なんて何も無い、あの夜はたまたま酒が手に入って、鶯丸が眠っていた、だから膝丸のいる部屋に行った、ただそれだけだ。

「本当に酒はいらないのか?」

「ああ、必要ない」

「そしたらお前はどうやって膝丸に会いに行くんだ?」

「それは……は?」

「だから、お前はどうやって膝丸に会いにいく?」

 目の前の鶯丸が言っている言葉に、思わず言葉を失った。びっくりしたんだ。

「お前、俺が毎晩膝丸に会っている事を知っていたのか? 俺はお前が寝た後にあいつの部屋に行っているんだぞ」

「そりゃあもう、可愛い弟の大包平の行動くらい、全て分かっているさ」

「お前、弟と言ったり弟ではないと言ったり……」

「何を言っているんだ、お前は俺の弟であり、弟で無いんだ」

「……言っていることが滅茶苦茶だ」

「なに、もう直ぐ全部わかるさ」

 鶯丸のその言葉には、妙に説得力があって、何故だか俺も、もう直ぐ何かが分かりそうな気がしていた。

****

「兄弟と言えば、堀川派の事を聞いたことがあるか」

「ありゃ、君、起きていたの?」

「堀川国広は、正確には堀川派かどうか定かではないらしい」

「へえ、そうなんだ」

「それでもお互いを兄弟だと呼んでいる」

「そうなんだねぇ」

「堀川国広は、国広三兄弟の一人だ」

「ふ~ん」

「それは、和泉守兼定といる時だって変わらない」

「そりゃそうだ」

「って、思うだろう」

「違うのかい?」

****

 糸のように細い月だ。あの夜も今のように細い月だったけれど、あの日とは向きが逆だ。ただでさえ夜目がきかないというのに、こんな月では勝手知ったる本丸ですら歩くのが難しかった。

「膝丸、いるか」

 すると、中から人の動く気配がして、すっと障子が開く。丹前の上に半天を着た膝丸が顔を見せた。

「大包平。どうしたこんな夜に」

「……少しいいか」

「いいか、というのは?」

「部屋に入れてもらえないか」

 俺がそう聞くと、膝丸は部屋の中に振り返り「良いだろうか、兄者」と言った。

「待て、髭切がいるのか?」

「そりゃ、ここは俺と兄者の部屋なのだから、兄者がいてもおかしくないだろう」

「……そうだな」

「ところで兄者、大包平を入れても良いだろうか?」

「ああ、いや、いい。別に部屋に用事があるわけじゃ無いんだ」

「では、何の用があるんだ?」

「…………」

 俺は今、どんな顔をしているのだろう。きっと酷く情けない顔をしているのだろう。

 そうだ、俺はどうして酒が無いのに膝丸の元へ来た。

 俺が何も言わないでいると、膝丸は部屋へ戻ってしまった。

 また朝が来る。そしたら、やっぱり鶯丸から酒を貰おう。そう思っていたら、部屋の中から一言二言会話が聞こえ、襟巻きを持った膝丸が出てきた。

「それでは冷えるだろう、大包平」

「俺は冷えないぞ」

「そうなのか、流石だな。でも巻いてくれ、念のためだ」

「ああ……」

 膝丸は黒い襟巻きをぐるりと俺の首にかけ、さて、と言う。

「散歩でもしようか」

 

 散歩と言っても、ただ中庭を歩くだけだった。土に霜が降りているのか、歩く度にさりさりと音が鳴り、面白い。

「別に、話したいことがあったわけじゃ無いんだ」

 俺が話し始めても、膝丸は何も返さず黙って隣を歩いていた。

「鶯丸も遠征に行っていないし、まだ部屋で起きている」

「……あの日は、鶯丸は本当に寝ていたのか?」

「ああ。あの夜は本当に寝ていた。もらった酒もちゃんと美味かった」

「そうか」

「ああ……」

 話す度に白い吐息が風に流れて、少し暖かく感じる。

「あの日、俺はただ酒を温めただけで、それ以外は何も用意していなかった」

「美味かったぞ、ぬる燗。香りが良くて、温まった」

「嘘だな。あの日の燗酒はぬる燗でも上燗でも無かった。あんなの熱燗でも何でも無い。酒なんてとても呼べない不味いお湯だった」

「……やっぱり、大包平は燗酒を作ったことが無かったんだな」

「そうだ」

「だから温めすぎた」

「ああ」

「それを冷まして持ってきたのか」

「ああ」

「だからあんなに不味かったのか」

 思い出したのか、膝丸はくすくすと笑う。

「笑うな」

「あんな不味い酒、笑う他に飲む方法が無いだろう」

 笑う膝丸の横顔を見ても、前髪で隠れてよく見えなかった。こんな事なら反対側に立てば良かったと後悔する。

「でも、あの日は本当に機嫌が良かったんだ。大包平が俺に燗酒を作ってくれた事が嬉しかった。酒を飲む相手に俺を選んでくれた事も、本当に嬉しかったんだ」

 その言葉に、思わす足を止める。並んで歩いていた膝丸も気付き、突然止まった俺を不思議そうに見た。

 そうだ、俺があの日言いたかった言葉は、これなんだ。

「違う。俺は、酒を飲むために膝丸の部屋に行ったわけじゃない」

 風が吹いて膝丸の前髪が揺れたけれど、今度は遠くて、それで暗くて見えなかった。

「大体、酒を飲むためならあんな不味い燗酒はとっとと捨てて、酒瓶を持ってくるだろう」

 ここまで言って伝わっていないわけがない、自分でもやっと自覚をした。ならば、男なら、言わなければならない。

「俺は、あの日……」

「やめてくれ!」

 しかし、言おうとした言葉は言い切る前に、悲鳴のような声で遮られてしまった。

「……やめてくれ」

「どうしてだ」

「大包平には分からない事だ」

「俺に分からない、だと?」

「そうだ。俺が、お前といるときどれだけ怖い思いをしているのか、分かるわけがない」

 膝丸は言葉でそう拒絶しながら、俺に歩み寄ると襟巻きを掴み、俺の肩に頭を乗せた。

「覚えているか? 妙に気持ちが穏やかだと言った事を」

「覚えている」

「君は……鶯丸から、兄弟じゃないと言われていたな」

「ああ、言われた」

「俺もなんだ。俺も兄者から、弟じゃないと言われた」

 にわかには信じ難い言葉だった。あの髭切がそんな事を言うとは思えない。髭切は、膝丸の名前は忘れても膝丸が弟であることは決して忘れなかったのだから。

「あの時の穏やかな気持ちはこれだ。これがその正体だ。大包平、俺は、君と居る時は、兄者の弟ではない……一人の、膝丸という存在になってしまうんだ。それが凄く心地いい。けれど、どうしようもなく怖い」

 その言葉に偽りはないのだろう、確かに膝丸の身体は震えていて、奥歯が鳴っていた。

「君に愛されるのが怖いっ……君に愛されたら、俺はどうなる。俺は、自分が自分ではなくなってしまう気がして、怖くてならない」

 そうか。そういうことか。

 救われたような奪われたような、穏やかな気持ち。暴力的で、自分が自分でなくなるような、それでいて、自分を取り戻すような、生まれ変わるような心地だ。

「俺は生まれ変わってしまうのだろうか。兄者の弟じゃない何者かに。嫌だ……そんな事になるくらいなら、俺はいっそ……ここで、君の腕の中で、兄者の弟として死んでしまいたい」

 俺と鶯丸が兄弟と言い合うのと、髭切と膝丸が兄弟と言い合うのとでは、きっと全く違う。全く違うし、膝丸の抱える葛藤を分かってやることが出来るとも思えない。

「お前は、こんなに悩むほどに俺を愛したのだろう。なら、髭切のことだって、ずっと兄弟として愛していられるに決まってる。お前は髭切の弟で、俺の……何だ、なんて言えばいいんだ」

「……愛人?」

 改めてそう言われると身体が震えるほど恥ずかしい。

「あ、ああ、そうだ。俺の愛人だ」

 それでも、膝丸の顔を両手で包み込み、しっかりと目を合わせて、そう言った。

「……無理だ! やはり俺は兄者の弟である限り、君の愛人にはなれない! 俺は兄者の弟であって、それ以外ではありえないのだ! 兄者の弟以外である瞬間など存在してはならないんだ!」

 しかし、俺が必死に羞恥を堪えて言ってやったというのに、膝丸は俺の顔を思いっきり押し返した。

「なんっ! この、強情なっ……死にたいと言っていた奴が何をぬかす! 俺のことが好きなのだろう!?」

「す、好きだ、君の事は大好きだ! けれど俺は兄者の弟なんだ! 君も鶯丸の弟ならこの気持ちが分かるだろう!」

「分からんぞ!」

「正気か!?」

「わっ……かる……いや、分からん!」

「そんなはずがあるか!」

 俺はこいつの傍にいると落ち着くし、気が合うと思っていたが、実はそんな事もないのかもしれない。

 けれど、もうそんな事は気にならないし、どうでもいい。

 俺はそのくらい、こいつに惚れてしまったらしかった。

​****

 鍛刀部屋の表示時間はいつの間にか0になっていた。依頼札も手伝い札も消費されていないから、どうやら、新しく鍛刀された刀はいないようだ。代わりに、その中にいたのは、ケンカしているのか抱き合っているのか分からないような体勢で眠る大包平と膝丸だった。

 

「つまり、二人はあの鍛刀部屋で同じ夢を見ていたんじゃないの?」

「そもそも、俺たちは鍛刀部屋に入った覚えがないのだぞ、兄者」

「酔っ払って記憶が無いだけじゃない?」

「大包平は酔っていなかったのだから、それでは説明がつかないぞ兄者」

「そう言われてもねぇ。まあ、それはもういいや、考えても答えは出そうにないし。そんな事より、二人って、結局付き合ってるのかい?」

 髭切の問いに、大包平と膝丸は顔を見合わせる。

「俺は兄者の弟だ」

「まだ言うのか! 散々、俺に愛されるのが怖いだの穏やかだの死にたいだの言っておいて!」

「兄者の弟でなくなるくらいなら死にたいと言ったんだ。それとは別に大包平の事は愛している」

「うっ……」

 大包平はどうやら、膝丸の嫌味のないまっすぐな目で見られるとどうしても怒れなくなるらしく、納得いかないという表情のまま大人しく引き下がった。

「お前は真面目すぎる」

「君が言うのか」

「ふんっ」

 そんな二人を眺めながらお茶を啜っていると、髭切が俺の肩をちょんと叩く。

「これって、もう付き合ってるよね?」

「本人たちにそのつもりはないみたいだがな、何せ、お互い生真面目だからなぁ」

「いいこなんだよねぇ」

 そうこう話していると、俺が光忠に頼んだ熱燗が広間に届く。

 大包平と膝丸はそれを一口飲むと、驚いたように顔を顔を見合わせ、こう言った。

「ちゃんと美味い」

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