胸いっぱいの
※超閃華の刻で出した同人誌の事後の話です。
すぐ目の前で、小さな寝息が聞こえる。そっと目を開けて見てみれば大包平はすっかり眠ってしまったようだった。元々寝つきがいい奴ではあるけれど、まさか初めての情事の後でさえこれだけ穏やかな表情で眠るとは。疲れたのだろうけれど、俺ばかり眠れないようで少し寂しい。
眠っても尚、俺を抱きしめている大包平の腕をどけ、布団から抜け出して文机から観察日記と万年筆を取り出す。障子を開けて縁側に出ると、夜目がきかないとはいえ闇夜に慣れた目には十分な月明かりが出ていた。縁側に腰掛け日記の項を捲り、さて何から書こうかと先程の事を思い返す。
まさか、大包平が本当に俺に抱かれてくれるとは思わなかった。
俺は、大包平に抱かれたくない訳でも無く、大包平を抱きたいわけでも無かった。ただ、俺に抱かれている大包平を見てみたかったのだ。
誰かを抱く大包平は、何となく想像がつく。きっと、誇らしげな表情で、満足そうに笑いながら抱くのだろう。しかし、大包平が誰かに抱かれる姿はどうにも想像がつかなかった。それでも想像を巡らせた時、あいつなら屈辱に表情を歪めたり、決して受け入れずに拒むのではないかとすら思っていた。
それがまさか、あんなにもあっさりと受け入れてくれるなんて、誰が想像しただろう。
俺を受け入れ、戸惑い、喘いで目を細める。屈辱的な表情でもなくただ恥じるように顔を隠し俺の名を呼ぶ姿を、他の誰が知っているだろうか。
拒もうと思えば拒めない体格差でも無いのにそれをせず、それどころかいくらでも抱かれてやるだなどと言って、大包平が俺を受け入れてくれた事が、それこそ……涙が出そうになるほど嬉しかった。
思い出すと胸がいっぱいになる。もう暫くは閨事はいらないと思うくらいだ。
思いつく限りを日記にしたため、一息ついて本を閉じる。丁度その時、すぐ後ろの障子が開いて大包平が顔を見せた。
「何をしてるんだ」
縁側に腰掛ける俺を見るや否や、大包平は呆れたようにそう言った。
「なに、少し風にあたりたくなっただけだ。起こしてしまったようだな」
俺がそう返すと、大包平は眉を寄せて視線をそらし、後ろ手に障子を閉める。
「起きたわけではない。俺も寝られなかったんだ」
「ほう、それじゃあ、俺が布団から出た時も狸寝入りをしていたというわけか」
「……悪いか」
一体何が恥ずかしいのか、大包平は目を合わせない。
「まだ暫く眠れそうに無いなら、ここで少し話でもするか」
そう言って俺の隣をぽんぽんと叩く。大包平は少し躊躇った後、どっかりと腰をかけた。
「しかしまあ、お前も随分狸寝入りが上手くなったな。すっかり眠ったのだとばかり思っていた」
大包平はちらりと一度俺を見て、恥じらうように直ぐに視線を戻してしまう。
「胸がいっぱいで……眠れないんだ」
風に吹かれれば消えてしまいそうな、押し殺した声で、大包平は言った。
思いもしなかった言葉に、俺は何も返せなかった。
そんな俺に痺れを切らしたのか、大包平は小さい声で唸り、可愛らしい顔で俺を睨む。
「話をするんだろう! 黙ってないで何か言え!」
暗くてもわかるほど赤い頬と微かに潤んだ瞳に、心臓が小さく胸を打つ。心地よい強さで何度もその音が身体に響くようだった。
「俺もそうだ」
答えると、幼子のように大包平がぱちくりと目を瞬かせる。
「俺も胸がいっぱいで全然眠れない。でも、それが嫌じゃなくて心地いい。ずっとこのまま眠らずに、朝も来ないで、この時間が続けばいいとさえ思った」
お前はどうだ――。
そう問いかけながら、大包平の頬に手を滑らせた。その問いに、大包平の瞳が水面のように揺らめいたように見えた。そして見慣れた不敵な笑みを浮かべ、俺の頭に手を添えて撫でるように唇を重ねられる。大包平の手が俺の頭を滑りうなじをくすぐられて身体が震えた。唇をこすり合わせながら、名残惜しそうにゆっくりと離れていく。ささやかな夜風の中で、大包平の吐息はあまりにも熱くてくらりとした。
口付けだけで、こんなにも気持ちがいい。
ため息をついて大包平を見れば、視線が絡み合う。その視線が馴染んで一本の糸になってしまいそうだった。
「眠らなければいい、どうせ明日は、俺もお前も非番だ。誰も咎めないだろ」
大包平はそう囁き、俺を抱き寄せた。
「それもそうだ。では、朝までにお前の答えを聞かせてくれるんだな?」
「答えだと?」
「大包平はどんな風に胸がいっぱいなのか、聞かせてくれるんだろう?」
「なっ……そんな事を聞いてどうするんだ!」
「俺は話したじゃないか。なのにお前は濁して逃げるのか?」
「お前が勝手に話したんだろう!」
「はぁ、そうだったか? 胸がいっぱいで眠れないと言ったのは大包平だったと思うが」
ぐぐっと言葉に詰まり、大包平は立ち上がり部屋へ入ってしまう。
「だから起きていると思われたくなかったんだ!」
「何も恥ずかしいことはないだろう」
「恥ずかしがってなどいない!」
あまりにも苦しい言い分に、クスクスと笑いが漏れてしまう。俺も縁側から立ち上がり部屋に戻り障子を閉めた。
「さあ、大包平。答えを聞かせてくれ」
「そんな物は無い! 俺はもう寝る!」
そう言って大包平は布団に潜る。そうしつつも俺が入れるように端に寄っているのがなんともいじらしくて面白い。
「眠らなければいいと言ったのはお前だ」
「お前だけ起きていろ!」
「そう寂しい事を言うな」
文机の引き出しに日記と万年筆を戻し、布団に潜る大包平の上にのしかかる。それでも布団から顔を出さず微動だにしない。このままでは俺の分の掛け布団が無い。それは困る。
「大包平、もう意地の悪いことはきかないから、布団に入れてくれ。眠らないにしてもこのままだと冷えるだろう」
のしかかったままあやすように布団の上から優しく叩く。すると布団から顔を出して俺が被れる分だけの掛け布団を広げた。大包平の上から降りて、一緒の布団に入る。思ったより身体が冷えたのか布団と大包平の体温が身体に浸透するようだった。
「大包平は意地悪だな」
「それはお前だ」
「ふふっ」
眠らなければいいとは言ったけれど、本当にいつまでも起きているわけにもいかない。情事の興奮もだいぶ落ち着いてきたし、何とか眠れそうだ。瞼を閉じて大包平を抱き寄せる。
「鶯丸、寝るのか?」
「ああ……心地よくて眠ってしまいそうだ」
「……そうか。眠いなら寝ればいい」
そうして、鼓動と同じ速さで背中を叩かれる。
「俺ばかり眠れないようで、少し寂しいな」
微笑むような大包平のその声に、思わず笑ってしまった。
何だ、同じじゃないか。